新潟バイオリン教室日記*ハルモニア雑記帳*

新潟と長岡の音楽教室『こどものための音楽の家ハルモニア』の日々のあれこれ

中秋の名月 

 

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今年の「中秋の名月」は9月19日でした。

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9月20日は 「十六夜」(十六夜と書いて、いざよい)
月の出る時間は少し遅くなる。なので、「十六夜」は「ためらい」の意味を持つとか。
十六夜の月を待つ夕刻。 


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「立待月」9月21日 少し欠け始めた月が更に遅く出る、立って待つ間に出るので「立ち待ち月」

今年は良く晴れて、美しい月が見られました。



category: 季節のしおり

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ワルツ坂(2) 

 

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←ワルツ坂(1)より続く

<ワルツ坂の謎>

今、実際に歩いてみても、ワルツのリズムが感じられるとは思えない「ワルツ坂」。
しかし、この坂に「ワルツ」の名前がつき、
そしてワルツで無くなったのにも理由と歴史があるようです。


ここで、新潟検定(2級)に登場した「ワルツ坂」の問題をご紹介します

問題)中央区旭町通1番町と2番町の間にあり、新潟大医学部へ通じる坂は、ワルツ坂と通称される。
   なぜ、そう呼ばれるのか。

(次の中から正解を選ぶ)
A 近くの新潟師範学校から、ワルツの調べが聞こえた
B 女学生たちがワルツを合唱する練習場にした
C 傾斜が緩やかで、各段の奥行きが広いため、2歩歩いて1段上下と、ワルツの3拍子で上り下りした
D 広い踊り場でワルツのステップが踏める



どれもそれらしいですが
正解は『 C 』だそうです。


とりあえず、想像した通りの「ワルツ歩きになってしまうワルツ坂」が、かつてそこにはあったと判り、
なんだか少しホッとしました。


さて、この坂が、いつから「ワルツ坂」と呼ばれるようになったのかは、調べてもなかなかわかりませんでした。
普通に生活の中にある街の歴史は、記録には残りにくい物なのだなと思いました。


ワルツ坂の正式名称が、今も昔も「しょうこん坂(招魂坂)」であり、それはかつて招魂社という戊辰戦争の戦死者を祀る施設が坂の上にあったから、という由来を聞けば、坂自体は明治の初期からそこにあったことが伺えます。

そして、重々しい「招魂坂」という名前からは程遠く思える「ワルツ坂」というもう一つの名前。
その不思議な対比の謎をとく鍵は、新潟検定の問題にも出て来た「新潟師範学校」にあるように思えて来ます。


<新潟師範学校とは>

新潟師範学校、私の母校新潟大学教育学部の前身であるその学校は→こんな学校だったようです
明治の建物ですが、当時の新潟にこんな学校が有ったのかと思うようなハイカラさです。

新潟師範学校は、始めは官立(国立)の師範学校として明治7年に創立されました(八重の桜の同志社英学校の設立が明治8年です)。その後、明治10年に県立の学校になった理由が西南戦争に寄る政府の財政難だそうです。

大河ドラマ「八重の桜」が明治編に入り、新島襄が学校を作り、西南戦争が勃発し、という時代が描かれている所ですが、まさに明治の同じ時に、新潟でもこんな学校が出来ていたのですね。
当時の日本の激変が、地方にも速やかに及んでいた事に驚きます。

この学校の正門付近にあったのが、この坂。

始めの校舎が新潟大火で焼け、上のリンクの瀟洒な洋風の校舎が出来た頃にはもう明治も40年代です。
戊辰戦争の重々しい記憶の「招魂坂」という名前よりも、新しい時代の「ワルツ」という気分が、ここで学ぶ学生さんたちにはあったのでしょうか?。



<意外な新しさ>

ところが調べて行くうちに、
招魂坂は『昭和33年の改修工事によって一時「ワルツ坂」とも呼ばれた』という記録が
新潟市編纂の「新潟歴史双書8 新潟の地名と歴史」にあることが判りました。

だとすると、この名称が生まれたのは意外に新しく、昭和33年以降という事になります!。

明治、大正の学生さんたちの名付けによる「ワルツ坂」と思っていましたが、意外にも昭和のネーミングだったようです。師範学校も昭和20年代にすでに廃止されているので、名付けをしたのは当時の新潟大学の学生さんと思われます。(新潟大学医学部の先生の名付け説も有るようです)

なかなか洒脱ですね、昭和の新潟の人々も。

ただ、昭和39年まで坂の付近に残っていたという、旧師範学校の建物の、もうたぶんかなりレトロ感を増していたであろう存在が「ワルツ」という名前がつくのに何かインスピレーションを与えた可能性は、無いとは言えない気もします。

その前までの坂の呼称は「招魂社の段々」だったそうです。

その後に「ワルツ坂」がもう一度改修され、現在の姿になっているということのようです。

「招魂社の段々」時代 →改修(昭和33年)「ワルツ坂」時代 →改修(平成?)現在


「ワルツ坂」時代の終わりの頃は、段もかなり痛んでいて、非常にでこぼこな状態だったそうです。
現在のこの坂の重要な役割のひとつが、坂の上にある医学部病院への通院の道であることを思えば、歩きやすく、手すりもしっかりした現在のこの坂は、ふさわしい姿に生まれかわって新しい歴史を歩み始めているのでしょう。

「ワルツ」の名残を惜しむより、
この坂が新しい姿でまた街の人々に親しまれ、次なる素敵な愛称をもらえる日が来る事を願いつつ、
大切に見守って行きたいという気持ちになりました。
















category: 新潟長岡のこと

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ワルツ坂(1) 

 

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ワルツ坂を目指す
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

新潟に「ワルツ坂」と呼ばれる坂がある、と教えて頂きました。
ワルツ坂、なんとも楽しげな響き。
足取りがワルツになってしまう坂?。
そんなリズミカルな坂が近くにあったとは!。
これは是非とも体験!と、秋の一日、早速探検に行って来ました。

新潟大学の医学部の近くにあるというその坂、
およその場所は地図で確認したのですが、この辺りはあまり行った事が無い場所なのです。
だいたいこの辺か?と見当をつけて、とりあえず医学部方向へ登ってみます。
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これが予想外の傾斜で、いきなり腿にけっこうな負荷を感じます(汗)。
ここにこれほどの高低差があったという事自体発見でした。
左側に見える武家屋敷のような塀は、新津記念館ですね、しかし今日の本題は坂なので通り過ぎます。

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登り切った所は新潟大学の医学部と病院。
医学部の塀にも歴史を感じます。

そして、建物と建物の間のような場所に、その坂が現れました。
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おお、目指す「ワルツ坂」、正式名称「しょうこん坂」はこれです。

早速降りてみます。
ワルツ感は感じられるのでしょうか?。
??????。
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??????。

正直に言えば、ワルツ感は「よくわかりませんでした」。
ちょっと幅広めの緩い階段ではあるけれど、ワルツと断定できる何かは感じられない。

私の感性のせいか、何かを見落としているのか?。

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一応段の奥行きを測ってみました。
50センチ弱。

通りかかった年配の女性も、子供さんもスタスタと登って行きます。
ワルツという言葉から、「一段の幅が広すぎて一段一歩ずつでは降りられず、歩幅を合わせるのにステップを踏むような感じになってしまう階段」を想像していたので、ちょっと予想してた物と違いました。


しかしこれには訳があるようなのです
<続く>





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敬老会 訪問演奏 

 

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敬老の日の「敬老会」。
アンサンブル・フェニーチェメンバーによる、養護老人ホームへの訪問演奏が終わりました。

お聞きくださったお客様、
参加してくださった皆様、
ありがとうございました。


category: アンサンブル・フェニーチエ

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天高く 

 

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日中の日差しはまだ強いですけれど、朝夕はめっきり涼しくなりました。

ふと空を見ると、こんな秋らしい雲に。
季節は確実に巡っています。

教室の黄色い壁と一番お似合いなのは、秋の青空の色だと思っています。

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一方、こちらはあまり風情はありませんが、教室の玄関から見える巨大な重機。
白山駅の工事に使われているものです。
これから旧駅舎が撤去されて、白山駅は外観も新しい姿になるところです。




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アンサンブル・フェニーチェの皆さん練習中 

 

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敬老の日に長岡市内の養護老人ホームで開催される「敬老会」へのボランティア出演のために、アンサンブル・フェニーチェの皆さんが合奏練習中です。

フェニーチェとしてのコンサート出演もこれで3回目。教室の発表会を入れれば4回目。

今回は、敬老会に合わせて、クラシックの名曲から、懐かしの映画音楽、昭和の歌謡曲まで演奏します。

初めての出演の頃は緊張が表面に出ていて、お客様から「すごく真剣に弾いている所が良かった」というような温かいご感想を頂戴していた皆さんのアンサンブルも、回を重ねるごとに慣れて落ち着いた感じになってまいりました。少し上のレベルの仕上がりを目指せるようになって来たように感じています。

本番までもう少しです、頑張りましょう。

よろしくお願いします。

category: バイオリン教室にて

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白山駅 さようなら、そして、はじめまして 

 

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新潟教室の最寄り駅、JR白山駅。
5年越しの改装工事が行われています。

そして、いよいよ新しい駅の使用が開始されました。

上の写真は、長い間お世話になった今までの白山駅。
使用終了間近の先週末の写真です。
思えばこの駅にお世話になったのは、大学生の頃からでした。
当時はまだ新潟市芸術文化会館はありませんでしたが、音楽文化会館、県民会館、そして今は無き公会堂(たぶんそんな名前の古い建物をオーケストラの練習に使っていた記憶もかすかにあるような)に行くために乗り降りしたのが白山駅でした。
長いおつきあいです。
付近には高校も複数あり、市役所はじめオフィス、病院なども多い地域なので、私よりももっと長い間白山駅と毎日のようにおつき合いされている方もたくさんいらっしゃることでしょう。

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見慣れた改札。
新潟市の中心街である古町や、市役所に行くにもここが最寄り駅なのですが、それにしては、のんびりした田舎の駅のような佇まい。とても新潟県内で3番目に乗降客が多い駅とは思えないほどです。

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もともとは地下道を通ってホームに出るしくみの駅でしたが、改装工事が始まってからは、長い長い仮設の連絡橋を通ってホームに出るようになっていました。このしんどい階段を上り下りするのも今日が最後。

そして
9月1日。
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電車を降りたら、おや?、ここはどこでしょう?。
狐につままれたような感じ。
あの、けたたましかった発車のベルの音も、ピロリロピロリロと何がしかメロディーのようなものを奏でるように変わっていて、ええ〜っ?!。新潟駅の新幹線ホームだって未だ発車ベルは「ベルの音」なのに。

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向こう側の遠くの方に今まで使っていた古びたホームと、あの長くて辛い階段の連絡橋が見えます。
ということは、ここは新設されたホーム。

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中はこんなです。地下駅になりました。
この先に改札があって左右に出入り口、新しく裏口(南口?東口?)が出来て、がんセンター病院側からも直接出入りできるようになりました。
エスカレーターにエレベーター、今までの長い階段がウソのような快適さです、これで病院に行く年配の方のご利用などはどんなにか楽になる事でしょう。すばらしい!。
東京の郊外の小さな駅みたいな感じになっちゃって味わいが、などという事はこの際言わないでおきましょう。

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まだ工事中な感じの出入り口の横に、お役目を終えた懐かしい旧白山駅がひっそりと佇んでいました。
おつかれさま、ありがとう。
















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